雑誌取材を受けた記事をご紹介いたします。
※2015年取材
よしだ農場の農場主、吉田昌男さんは、所沢市の新たな特産品を作るべく奮闘している。
ころんとして、黄色く丸い。それが一般的に思いつく「じゃがいも」のスタイルではないだろうか。
ところが、ここよしだ農場では、ピンク色で細長いじゃがいもを作っている。
所沢市では、徐々にその名を広げつつある「ノーザンルビー」という赤肉(実際はピンク色に近い)のじゃがいもだ。
「男爵いも」や「メークイン」に比べると聞きなじみのない名前だが、これは2006年に北海道で登録されたばかりの比較的新しい品種である。
2008年、吉田さんは川越農林振興センターの方から、 「ノーザンルビーを作るなら絶対ここがいいんだ!(理由は後ほど)ぜひ作ってくれないか!」と栽培への熱烈なアプローチを受けた。
それが吉田さんとノーザンルビーとの出会いだ。
吉田さんが栽培に挑戦し、ノーザンルビーを初めて収穫した年、見る人見る人は「さつまいも?」とよく間違えたそう。
土から半分顔を出しているノーザンルビーは、まるでさつまいも畑に見えるのだ。
吉田さんのじゃがいも作りは3月の彼岸の頃から始まる。
まず3月に種いもを植える。種いもの間隔は一足ずつ。(25〜30cm)
「昔から『男が植えても女が植えても一足』と言うように、植える人によってその間隔は異なるようだから面白いよね」と吉田さんは言う。
3月でも霜が降りる場合があるため、畝の作り方を工夫しているという。畝を東西に広げ、北側の斜面の土を高くする。こうすることで、北風も避けられ、土の温度が上がって霜が降りにくくなる。
5月には間引きを行う。種いもからいくつも芽が出るので、栄養が良く行き渡るように1本立てにする。
その後、いもが土から出ないように、高畝にしてある北側の土を削り取り、反対側の株元に寄せる。いもが畝から出ると、日焼けして色が悪くなってしまうそうだ。
肥料は少し入れる程度だ。全く入れないと芽が出にくくり、入れ過ぎると二次生長が起こって、こぶができてしまう。
多過ぎても少な過ぎても良くないのだ。じゃがいもに限らず、それぞれの作物が欲しがる肥料の量はどれくらいかを考え、施すのが吉田さんのモットー。
収穫は梅雨明けの7月中旬頃、ベルトコンベア状の機械を使って掘っていく。機械が通りやすくなるように、覆いかぶさる茎や葉をまず除ける。
機械の先端が畝を這っていき、じゃがいもたちがベルトコンベアを伝って運ばれていく。吉田家3人によって、サイズ別に仕分けされ、後ろのカゴへ行き着く。作業が進むにつれ、みるみるうちにカゴがピンク色へと染まっていく。
3人が1台の機械に乗り、協力する姿がまぶしく見えた。
【画像左】親子三人の美しい連携プレー 【画像右】肥料を与えすぎて二次生長が起き、こぶができてしまったもの
収穫後のノーザンルビーが見せる変化がまたバリエーションに富んでいる。このじゃがいもは加熱しても鮮やかな色のままだ。吉田さんは、この特徴を活かし、さまざまな試行錯誤を続けている。
まずはじめは『赤じゃがアイス』を作った。結果的にはおいしいものができたが、「じゃがいもがおいしいんじゃなくて、アイスがおいしいから売れるんでしょ」といった声があった。
赤じゃがいもを使用する意義を考え、断念。そして次はじゃがいもの定番、コロッケに挑戦。『赤じゃがコロッケ』を普及させる為に市内の肉業者に売り込もうとしたが、なかなか前には進まなかったそうだ。
「外側に赤色が出てないと、ただのじゃがいものコロッケと見た目が変わらないからインパクトが弱いんだよね」と吉田さんは分析する。
その後「ピンクポテトチップス」を思いつき、試作を経て2014年の夏に商品化した。作った当初は売れるかどうか不安だったそうだ。そんな吉田さんの不安をあっさりと裏切り、発売後1ヶ月も経たないうちに売れてしまった。
【画像】青々と茂るじゃがいもの葉。
吉田さんのじゃがいもは、埼玉県のポテトチップス工場に運ばれ、製品となる。できたばかりのものをいただくと、奇抜な見た目とは裏腹で、とても優しい味がする。
それもそのはず、化学調味料などは一切不使用で、じゃがいも、油、塩、それだけでできている。 「1年か2年で商品開発を諦めてたら何もヒットしなかったよ。だから継続だね。」と吉田さん。
なんとこのじゃがいもはケーキにまでも変身した。卸し先の市内のケーキ屋では秋限定で赤じゃがケーキを作っており、発売と同時に売り切れてしまう。
さらに最近では、市内の焼き肉屋から添え物用に小さいじゃがいもが欲しいとの依頼が来た。本来出荷ができないようなSサイズ以下のじゃがいもである。
まさかこのじゃがいもがケーキ屋や焼き肉屋で活躍するとは、吉田さんもじゃがいも自身も思ってもみかっただろう。
「地元のブランドが地元で消費されて、所沢のお土産だってみんなが喜んで。所沢でしか買えないって思えるようなものがいいね。これを全国展開しちゃうと、所沢のブランドじゃなくなっちゃうからね」
吉田さんの所沢への想いは誰よりも強い。今でも年に1度は新しい商品を世に出そうと、いろいろなものを試作する日々だという。吉田さんは、今試作中のものを編集部にこっそり教えてくれた。
じゃがいもからは思いもつかないようなものばかりだ。次の新商品が楽しみである。
【画像】切ってびっくり!中身もきれいなピンク色。ポテトチップになっても鮮やかなピンクのままだ。
さらに、吉田さんのじゃがいもは所沢市の学校給食でも大活躍している。所沢市は給食での地産地消を推進しているため、吉田さんから赤じゃがいもの使用を提案した。
「今では、市内の栄養士さんから『ずっとノーザンルビーを作り続けて下さい』って言われたんです。なぜかっていうと、給食で赤いものっていうとにんじんとトマトしかない。
ノーザンルビーがなくなっちゃうと彩りをカバーするものが少ないからみたい」と吉田さん。吉田さんのじゃがいもは地産地消という意味だけでなく、「赤」という給食を彩り豊かにする上ではなくてはならない役割もある。
「何で給食で出すかっていうと、子どものときに食べた経験があると、大人になっても食べたくなるからね」と笑う吉田さん。幼い頃の食体験は、成長しても、ふと蘇る。
【画像左】ベルトコンベアを伝って、じゃがいもが踊るように運ばれていく。 【画像右】機械の後方では、運ばれてきたじゃがいもはS・M・L・2L と サイズ別に分けられる。大きいものは皮がむきやすいため学校給食用に卸す。小さいものは加工用。
よしだ農場がある、埼玉県所沢市南永井。ここは、所沢からほど近い川越の「川越いも」の原点となる記念すべき地だ。約260年前、「吉田弥右衛門」という男がこの地でさつまいも栽培に成功した。そこで、川越いもの始まりを、弥右衛門の本家の子孫である吉田浩明さんに聞いた。(農場主の昌男さんは分家の子孫。)
吉田弥右衛門がさつまいもを作り始めたのは、1751年(寛延4年)のことだ。弥右衛門は「暖かい地方では『さつまいも』というものを作っていて、飢饉に強く、やせ地でもよく育つ」という話を聞いた。
弥右衛門は、息子の弥左衛門を上総国志井津村(現・千葉県市原市)に、つかいに行かせ、弥左衛門は種いもを買って帰ってきた。そしてその年の秋には収穫ができたという。
当時、江戸では救荒作物としてさつまいも栽培が始まっていたが、江戸以北で栽培に成功したのはこの地が初めてであった。そして徐々にさつまいもの栽培が広まっていったという。舟運を使い、新河岸川を通って江戸に出荷していたため、「川越から来るいも」から「川越いも」と呼ばれるようになった。
そんな歴史ある地で、昌男さんはさつまいものような「ノーザンルビー」を栽培している。昌男さんの尽きないバイタリティは弥右衛門譲りでもあるのだろう。
【左から】1.生産者吉田昌男 2.「史蹟南永井さつまいも始作地之碑」。隣には弥右衛門と川越いもの歴史に関する看板がある。 3.吉田浩明さんのお宅には、「弥右衛門覚書」という古文書が残されている。 4.弥右衛門本家の子孫である吉田浩明氏
昌男さんはじゃがいもの収穫中にも電話が鳴り止まない。「ピンクポテトチップスを使って献立コンクールに出したいから製造を早めてほしい」という給食センター長からの要望、そして「今週赤じゃがいもを使った給食の予定だが、収穫状況はどうか」という小学校栄養士からの問い合わせであった。この時期はじゃがいも関連の対応に大忙しだ。
現在、所沢市ではよしだ農場を筆頭として5軒の農家がノーザンルビーを栽培している。直売・加工・給食と多岐に渡りその需要が高まっているため、ノーザンルビーを作る農家が増えていくことを昌男さんは願っている。
所沢市の地産地消を推し進めるために不可欠な存在のよしだ農場。これからもどんどん広がりを見せるその姿勢に目が離せない。
【画像左】ノーザンルビー以外にも何種類かじゃがいもを栽培している。 【画像右】収穫後、倉庫へと運ばれるノーザンルビー。
1957 年埼玉県所沢市生まれ。先代から農家としてよしだ農場を運営している。2008 年からじゃがいもの新しい品種「ノーザンルビー」を所沢市に普及すべく、栽培を始め、「ピンクポテトチップス」を商品化し、販売している。「ところ産食プロジェクト」という所沢市の地産地消推進団体のサブリーダーとしても地域に貢献している。吉田弥右衛門の子孫でもある。
※当コンテンツは、2015年12月に掲載予定だった取材記事を、HP掲載用に再編集したものです。
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